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しなやかな人に学ぶvol.1~望まない出来事をどう人生の味方につけるか?~

株式会社 特発三協製作所

しなやかな人に学ぶvol.1~望まない出来事をどう人生の味方につけるか?~

兵庫県尼崎市にある実力派のモノづくり企業・特発三協製作所。3代目・片谷勉さんに廃業危機に陥った家業を復活させた交渉術と、不確実な時代を生き抜くためのヒントを聞いた。

インタビュイー

片谷勉

片谷勉 兵庫県尼崎市・特発三協製作所代表取締役

1968年、大阪府生まれ。IT系企業のSE・営業職を経て1996年同社入社。2002年社長に就任。趣味はスポーツ。硬式テニス、スキー、ゴルフ、スノボ、フルマラソン、トライアスロンと「広く浅く」派だ。

※肩書・プロフィールは取材当時のもの


自動車や携帯電話、パソコンなど精密機器に使われる部品「薄板ばね」のトップランナー・特発三協製作所。創業62年、業界トップクラスの企業だ。しかし、同社はずっと順風満帆だったわけではない。

裁判敗訴、2億の違約金が発生。32歳で社長になり「腹をくくる」

大学では理学部に所属、テニスにスキーと学生生活を満喫していた片谷さん。卒業後はIT系企業でSE、営業職として約3年勤めた。

25歳のときに家業である特発三協製作所に営業職として入社。当時は、伯父(父親の兄)が社長、父親が技術職の家族経営。売上はそれなりにあったので片谷さんに危機感はなかった。
 
そんなぬるい会社員生活から突然奈落の底に落とされたのは32歳のとき。特発三協製作所を含めた9社が入居していた工業団地でトラブルが発生し、尼崎市を提訴したが、裁判で負けてしまった。

その結果、特発三協製作所は立ち退きと資金と機械の差し押さえ、2億円の違約金を請求されたのだ。社長の伯父は病床に伏せていたため、片谷さんが中心に対応することとなった。
 
片谷さんの選択肢は「廃業」「他社にスポンサーになってもらい、民事再生」もしくは「自力で会社を存続」という3つの道だった。どの選択肢も苦しい。そんななか、片谷さんは選択をする。
 
「もし会社を廃業して自分が他社に就職しても、自分の稼ぎでは2億円のお金を払うのは難しい」「都合よくスポンサーが見つかるわけではない」「従業員の生活は確保したい」。これらの条件の優先順位を踏まえて、片谷さんは会社の存続を決めた。銀行との粘り強い支払い交渉を重ね、ようやく融資を受けられることになったため、会社の存続が可能になった。
 
喜びも束の間、その1週間後に、伯父である社長が他界する。悲しみに浸る間もなく、片谷さんは資金繰りに駆けずり回った。

怒らない、騒がない。交渉術の心得は「冷静さ」にあり

片谷さん率いる特発三協は、社員総出で新しい工場に引っ越した。判決からわずか2ヶ月間の出来事だった。

片谷さんの最大の武器は、冷静なまでの交渉術だ。
「違約金は払う。そのためには機械の差し押さえを解除してもらう必要がある」と役所の担当者に持ちかけるなど、相手がほしいものを渡す提示をして、交渉を進めた。
 
片谷さんが、冷静さの大切さに気づいたのは、中学生のときだ。
ある日腹が立ったことがあり、握力トレーニング器具を思い切り握った。「怒りでどんなにパワーアップするだろう」と期待したが、しかし、握力はいつものまま。怒りのエネルギーは能力をプラスに導かなかったのだ。
 
伯父のあと父親が社長を継いでいたが、そこからバトンタッチをされた。34歳で社長に就任。
ひとまずの目標は、会社を安定して継続させること。経営の勉強を始め、自分も社員もきちんと生活ができるよう経営計画書を作成。社員に公開し、実行した。意欲のある若者が入社するようになった。違約金の2億円は、毎月230万円ずつを払い7年がかりで完済。
 
ホームページでの情報発信をスタートしてからメーカーからの問い合わせが相次ぎ、取引企業は約10社から数百社に急増した。

安定は与えられるものでなく「一所懸命な現在」の連続

コロナ禍、そして戦争。今、私たちは何が起こるかわからない世に生きている。ビジネス用語でいう、未来が予測できない時代=「VUCA(ブーカ)時代」だ。
 
公務員ですら解雇されることがある。何があってもつぶれない企業は、もはや存在しないと言っていい。「一生安泰」というワードは死語になる、といっても過言ではないだろう。
片谷さんは、潰れる寸前の会社を「どん底」から「安定」、そして「成長」へと導いた。
 
現在の特発三協製作所は安定した収益をあげているように見える。しかし、片谷さん自身は安定したとは思っていない。
 
「『安定した企業に就職したい』と話す学生さんの気持ちもわかりますが、安定ってどんな状態のことを指すのでしょうね?僕は、安定とは一瞬の状態を切り取っただけのことと思っています。ずっと安定しているという状態は、僕は経営者として感じたことはありませんね」。
 
新型コロナ然り、災害然り。これからなにが起こるか予測不能な時代において、安定は「一所懸命な今」の連続にすぎない。だとすれば、どんな観点で会社を見ればいいのだろう。
自分が一所懸命になれるような尊敬するリーダーがいるか、仕事は努力し続けたいと思える内容か。片谷さんは、そんな観点で会社を見ればいいというヒントを与えてくれた。

自分で稼いで自分で買う。そう決めた大学時代

会社の岐路に何度も立たされ、迷ってきた片谷さん。
絶対的な「正解」はなく、優先順位を決めて進んできた。そんな片谷さんの指針になったのは、自身のビジョンだ。片谷さんのビジョンは「こんな自分になりたい」という、きわめてシンプルな願いだった。
 
大学時代、練習のためテニスコートに行くにはクルマが必要だった。ある友人が乗ってきたのは、1000万円もする高級外車・ポルシェだ。
 
「ポルシェはカッコいい。でも、親に買い与えられたものより自分で稼いで買うほうが何倍もカッコいい」。
 
約30年経った今も、片谷さんの想いは同じ。「自分の努力で会社を潤し、自分を満たしたい」、収入も安定もみずから勝ち取ってこそ、やりがいを感じられると語る。
 
「目の前の課題に向き合い、ひたすら的確に選択し、判断する。そうすればきっと結果はついてくる」と、片谷さん。
 
片谷さんの次の目標は「世代交代」だ。会社を次世代に託していくために人材の育成と技術継承を目指している。