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株式会社ユアビリテイ・デベロッパーズ

株式会社ユアビリテイ・デベロッパーズ

~おじおば人生の学びvol.1~「自分らしさは意識しないと崩れちゃう」自分らしさを大事に生きるススメ

「おじおば人生の学び」とは、どんなときも、しなやかに楽しく、自分らしく生きてきた人生の先輩が、自身のキャリアについて講演会形式で語る新シリーズ。第一回ゲストは、株式会社ユアビリティ・デベロッパーズ 代表取締役 石井悠大さん。講演会に参加した学生からは活発な質問が寄せられ、会場は大いに盛り上がった。

インタビュイー

石井悠大

石井悠大 株式会社ユアビリティ・デベロッパーズ 代表取締役

1986年、京都生まれ。教員の両親のもとに育つ。中3で米国に短期留学、高校はオーストラリアに進学。その後オーストラリアで就職し結婚。27歳で妻子とともに帰国して、2013年、株式会社ユアビリティ・デベロッパーズ(通称Ydeps ワイデップス)を起ち上げる。代表取締役として、Web企画プロモーション、宿泊施設向け特化型サービス、翻訳サービス、留学・ワーキングホリデー仲介サポートなどさまざまな事業を展開している。

※肩書・プロフィールは取材当時のもの


僕は幼い頃から「自分は普通じゃない」と思ってきました。というのは2歳のときに大病を患い、大手術で大腸と小腸の一部を失いました。その後は強度の食事制限と共に幼少期を過ごし、身体も弱く背も低かった。

「いじめられないように強くなろう。誰よりも大きな声で主張しよう」と、そのキャラを演じた結果、やんちゃ坊主になりました(笑)。高学年では奇跡的に身長が伸びて、主治医の先生もびっくり。自分で「乗り切った」と思いました。
 
中学でも自分を強く見せようと生徒会で皆をひっぱり、野球部ではキャプテン。そんな時、偶然ニュースで、祖父が文化功労者になったと知ったんです。

祖父は東南アジア研究の第一人者だと初めて知り、祖父の偉大さとスケールの大きさを実感。悩んだ末、祖父に「海外に行ってみたい」と直訴。祖父は快く「行ってこい」と。

まず米国へ短期留学しました。アメリカでは個性の豊かさ、おおらかな風土を体感し、今までの常識がすべて覆されました。

帰国して「もっと広い世界を見たい、国際人になりたい」と父に相談。高校はオーストラリアへ進学しました。
 
オーストラリアでは少なからず差別もあり、理不尽な思いもしました。中国人の同級生に歴史的な経緯を指摘され、日本人として無知な自分が恥ずかしくなりました。直接的に僕のせいでなくとも、他国との関係は改善したい。政治のことは国同士で主張はあるが、今を生きる僕ら個人の関係が、過去に制限されてはいけない、と学びました。
 
高校卒業後、18歳で帰国しましたが日本になじめませんでした。米国やオーストラリアは多様な文化を尊重し共存する社会なのに、日本社会は型にはまるのがよくて、ユニークさをつぶす構造です。

そこでワーキングホリデーを利用して再びオーストラリアへ。現地のサラダ工場で働きました。携わる仕事の全部を理解したかった僕は、工場の全工程を調べました。

すると、同僚から仕事の段取りを聞かれる事が増え、結果的にはたった1年で、20人の部下を束ねる管理職として就労ビザを取得。年齢も人種も関係なく、工場内の流れを誰よりも知っている僕がリーダーになったんです。その後は、80人を率いるマネージャーとなり、多種多様な同僚と共に最高の体験をしました。

 
永住権の話も出て、婚約者もでき、順調に進んできた21歳のとき、日本に住む14歳の弟が急死しました。好き勝手に生きている僕ではなく、なんで弟なんだろう、と打ちひしがれ、両親や祖父母には「日本に帰ってきて」と頼まれました。

でも僕は、「人はいつ死ぬのかわからない。弟の分までもっと好き勝手に生きて、やれることをやろう」と心に誓い、弟の葬儀のあとオーストラリアへ戻りました。
 
その後、結婚して子宝にも恵まれ、海外永住の環境が整い始めた頃、家族と自分の未来のため、今ならまだ日本に帰れる、弟の分も父母を喜ばせたいと思い立ちました。またまた自分勝手なものさしから、27歳で一家を連れて完全帰国しました。
 
帰国後はもちろん苦難の連続でしたが、なんとか今の会社を起ち上げ、試行錯誤の繰り返し。日本の高校を出ていない僕は、漢字もろくに読めないし、名刺の渡し方などのビジネスマナーも知らない。周囲から白い目で見られる日々。

「早く日本に同化しなければ」の思いで人に頭を下げ、疲れて家に帰る毎日……。ある日、中華系オーストラリア人の妻に「アナタは何をしに日本へ帰ってきたの?」と問われました。

人に合わせようとして、自分らしさを失っていることに気づきました。「自分に戻ろう、自分らしくあろう」と思いリセット。見かけや表面的な事で判断する人とはムリに付き合わなくていい、僕の本質をわかってくれる人に全力で向き合おうと決心しました。
 
それからは、仕事と生活のバランスも考えて、基本的には土日はオフ日。極力、パソコンを開くのもやめました。すると、すべてが好転していきました。他人の評価は気にせず、自分らしさを貫いて行動していたら、認めてくれる人が増えたのです。
 
でも、自分らしさは意識しないと崩れていきます。常に「これが自分」という意識をもつことが大切です。長く生きようが短く生きようが、人生は短いんです。年齢に囚われず、今自分にできることを行動に移し、トライ&エラーを繰り返しながら、皆さんには自分らしく毎日を生きてほしい。それが、皆さんに伝えたい僕の願いです。

石井さんへの一問一答

学生: 自分の見ている世界が狭く、目標が見つかりません。
 
石井: これは会社の仲間にも常に意識させている、逆算の発想です。10年先、20年先に何をしたいか、趣味でも仕事でも、漠然とでいいから目標を書き出し、そこに肉付けをしていくんです。
 
学生: 自分らしくあるためのアドバイスをください。
 
石井: みんなに好かれる人なんていません。傷ついたり怒ったりしても、場数を踏めば慣れてきます。人の評価は気にせず、自分を貫き通してほしい。
 
学生: 帰国してから就職せず、起業したのはなぜですか?
 
石井: 日本の会社では働けないと思ったし、人の下で働くイメージが湧かなかったから。起業が大前提でした。
 
学生: 友だちができません。
 
石井: 友だちと知人は別。いろんな意見を聞き、自分をバージョンアップさせるための知人は必要ですが、友だちはムリに増やす必要はないし、年々減っていくものです(笑)。ちなみに僕の妻は我が強く、日本に「友だち」はいません。でも、我が道を歩んでいてカッコ良く、楽しそうです。
 
学生: イラストを専攻していますが、絵で食べていく自信がなく、就職も考えています。
 
石井: 絵が好きなら続けましょう!継続は力です。イラストは副業でもできる。独自性がリスペクトされる時代なので、絵を自己主張の場と考え、自信をもって才能を広げていってください。
 
学生: 大人に不意打ちで強く諭されると、反射的にそれに従ってしまう自分がいます。でも後で振り返ると、自分としては従いたくはなかった。石井さんのように、自我を強くもっていたい。「NO」と言える自分でありたい。どうやったら自我を強くもてますか?
 
石井: その状況はよくわかります。これだけ自我が強い僕だけれど、かつてはあなたと同じように感じたときがありました。やっぱり「自分はこうありたい」と常に思い続けることが大事。大人への反発を大事に、その気づきを次につなげていってほしいです。